CANDLE CAFE & Laboratory ΔΙΙ

寅吉
EXHIBITION
寅吉
去年の8月の後半だった。
港北の家具屋にソファを見に出かけた。
前に使っていたものは古かったし、ダニが発生して捨ててしまったから。
今回はダニがつかないように革のソファにしようと思って物色した。
しかしとうとう何も買わず店を出た。
まだお昼過ぎだったので、時間を持て余してしまい、前から行ってみたかった千葉の富津岬に行く事になった。

道中、こじんまりとした商店街のパン屋さんに寄って、ソーセージパンとアンパンを買った。 富津岬にはしっかりとした鉄骨の展望台があり、そこから東京湾を一望できる。
観光客もパラパラといた。

しばらく海を眺めた後、車を東京に向けて走らせた。
富津公園を抜けて、右折するはずだった道を曲がり損ねてしまった。
代わりに一本隣の道を右折した。
住宅街の間の道であまり車通りは多くない道だった。

先に目を向けると茶色い紙袋が落ちていた。
そのまま真っ直ぐに通り過ぎようとすると助手席の妻が「猫!」と言った。
僕はすぐにスピードを緩めて道路に目をやると、さっき紙袋に見えたものが実は茶トラの猫だった。
車が近づいても全然動こうとしない。
路肩に車を止めた。

その猫は僕と妻にすり寄って来て「ミャー!ミャー!」と鳴きながら、頭突きをして来た。
相当お腹が空いているらしい。
さっきソーセージパンを買ったのを思い出した。

車に戻ってソーセージパンを取り出し、ソーセージをパンから引っこ抜いて猫にあげてみた。 猫はすぐに一本食べてしまった。
体はガリガリに痩せていて、骨が透けそうなくらいだった。
目は目やにだらけで、左目には傷があり白っぽく濁っていた。

通りかかった近所のおばあちゃんにこの辺の猫かと聞くと「知らないわ。この辺捨て猫多いからね。」と言ってほとんどその猫にはほとんど目をやらず行ってしまった。
車に戻ろうとしたが、とても可哀想に思えてきた。
このままにしたらきっと死んでしまうだろう。

せめて餌を十分にあげて病院で薬をもらって体力が回復するまで面倒をみよう。
そう思い、猫を抱き抱え車にのせた。暴れたりせず素直に助手席のシートの上に収まった。 そして、猫と呼ぶのも何だからこの猫を“寅吉”と名付けた。

車の中で寅吉は妻の膝の上で寝ていた。
相当体力が消耗していたんだろう。
よく見ると体のいろんなところに傷があった。
ノミが走り回るのも毛の中に見えた。

東京湾アクアラインから首都高2号目黒線を通り目黒インターで降りて、先ほど携帯で調べた家の近所の動物病院に直接向かった。
病院では犬を連れたおばさんと猫を連れたおばさんが診察待ちをしていた。

診察台に乗った寅吉からは、大量のノミの糞や死骸がどっさりと落ちた。
きっと寅吉の毛の中には数十匹はいただろう。

病院の先生が「拾って来たのは良いんですが、これからどうするんですか?」と聞いた。
思わず「飼います。」と言った。
先生は「飼ったとして体力が回復しても、何らかのウイルスに感染してるかもしれないし、幸せな猫生は送れないかもしれません。」と言った。
寅吉は2.6キロしかなかった。健康な生猫は4~6キロくらいはあるだろう。

餌やトイレやおもちゃに首輪を一通り買って来て、その日から寅吉を看病した。
カリカリは硬くてあまり食べられないようだったので、パックに入っている柔らかい餌を電子レ ンジで少し温めると食べた。
水を飲むとアゴがびしょびしょになっていた。
1週間くらいして血液検査の結果が出たと電話が来た。
かなり不安だった。
しかし、寅吉は猫エイズなどの悪性ウイルスに感染していなかった。
僕は安心した。

1日の大半は寝ていておもちゃにも無反応でほとんど動かなかった。
鼻が詰まっているせいか、いびきが人間にも負けないくらい大きかった。

3ヶ月くらいすると、だんだんと体重が増えて来て、元気で活発な猫になった。
2回のシャンプーと薬でノミもいなくなって、皮膚の痒みもなくなってきた。
目に疾患がある寅吉はご飯を食べると今も涙が出てしまって、すぐに目やにや鼻くそがたまってし まうのだが、それもまた可愛い。

寅吉には立派な“たまたま”が付いていて、僕も妻も後ろ姿が愛くるしいと思っていた。
そしてそれは自然体なので、できれば去勢はしたくないと思っていた。
しかし、家の中で飼うとなればやはりそれは難しい事であった。
外に放し飼いにするという事も何度も考えた。

実は僕が猫を拾ってきたのはこれが2回目だ。
一度目は小学生の頃。公園でダンボールに入って捨てられていた子猫の姉妹を2匹拾った。
長毛の1匹はお向かいの子供のいないご夫婦が飼うことになった。
短毛のもう1匹はうちで飼った。20数年前の郊外という事もあって放し飼いで 飼っていた。
僕はその猫を心底可愛がっていて、学校から帰るとよく遊んだ。
しかし、何年かして 突然、いなくなってしまった。
健康な猫だったので多分交通事故にでもあってしまったのだろう。

放し飼いにすると、猫たちは生きるためにはしなくても良い喧嘩をすることになる。
縄張りを守るため喧嘩をして体力を消耗し怪我もする。
傷口から病気に感染してしまったりする。
人間に虐められたりもする。
僕は小学生の頃、神社で近所の子供たちに囲まれて砂をかけられている子猫を助けた事がある。
あの時は子猫の目に大量の砂が入って、目も開かなくなってしまって大変だった。
あの子猫の表情を今でも鮮明に覚えている。
それに今のご時世では猫が人の家の 庭でおしっこでもしてしまったらきっと問題になるだろう。
そんなことを思っていると放し飼いにする事のメリットを見つけられなかった。
家で飼うにはやはり去勢は必要だと思った。
さかりのシーズンには本能で外に出たくなってしま うからだ。
考えた末、寅吉には申し訳ないが、全ては寅吉が長生きするためだと思い、去勢をすることになった。
手術は無事に成功した。

今振り返ると、うちに来た頃は静かでおとなしい猫だと思っていた寅吉だが、ただただ衰弱して いただけなんだと思う。
もしかしたら本当に生命の危機が迫っていたのかもしれない。
今はうるさいくらによく遊び、よく食べる。
家に帰って玄関を開けると必ず寅吉が伸びをしながらすり寄ってくる。

寅吉を拾った後、台風19号が関東甲信越を直撃し、富津市も大変な状況になった。
ニュースを見ながら地元の方々の生活を心配すると同時に、寅吉の仲間や兄弟の心配をして止まな かった。
この年もいつにも増して暑かったし、少し涼しくなってきたと思えば台風がやってきて、寅吉もきっと餌にもありつけず、大変だったと思う。
そして仲間は今現在も大変であろう。

一般的に人間社会では“たかが猫”と片付けられがちではないか。
しかし、彼らは多大な生命のエネルギーに満ちていて、言葉ではうまく言い表せないが、人間を幸せにする不思議な力を秘めている。

この無垢で純粋で生きることに全力の生き物をのたれ死なせてしまう手はないと、“寅吉”という小さな命を通じて日々感じている。
PROFILE
蓮井元彦
蓮井元彦
写真家
1983年、山形県生まれ。東京都出身。
2003 年渡英。Central Saint Martins College of Art and Design を経て London College of Communication で 写真を専攻後、2007 年より東京を拠点に国内外の雑誌や広告で活動。主な写真集に「10FACES」 「10FACES 02」「Personal Matters」「Personal Matters Vol.2」「Yume wo Miru 」がある。
http://motohikohasui.com外部リンク